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中村彝を知るための45冊 ブログトップ
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『佐伯祐三 下落合の風景』展図録(新宿歴史博物館/2010年) [中村彝を知るための45冊]

佐伯祐三「下落合の風景」展図録2010.jpg

 新宿歴史博物館で2010年5月9日まで開かれている、「佐伯祐三 下落合の風景」展覧会Click!の図録です。中村彝とは直接関連しない展覧会ですが、同展のパネルおよび図録には中村彝とそのアトリエについて、あるいは彝の死後、1929年(昭和4)から彝アトリエへと移り住んだ、洋画家・鈴木誠についての解説が、作品や当時のアトリエ内部の貴重な写真とともに掲載されています。また、1924年(昭和13)に彝が死去した少しあとの時代になりますが、大正末から昭和初期にかけて彝アトリエや佐伯祐三アトリエの周囲に住んでいた、帝展あるいは二科展へ出品していた下落合の画家たち情報が、ほんの一部(15名前後)ですが掲載されています。
 図録は、現在開催されています新宿歴史博物館の同展受付で、1部1,000円にて販売されています。4月28日には、「佐伯祐三アトリエ記念館」のリニューアルオープンも予定されていますが、中村彝アトリエ保存会では彝アトリエのほうも、1日でも早い保存実現を願っています。


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曾宮一念『裾野』(四季書房/1948年) [中村彝を知るための45冊]

 裾野1948.jpg 曾宮一念.jpg

 おもに戦前戦中を通じて書きためておいた曾宮一念のエッセイを集め、戦後すぐの1948年(昭和23)に四季書房から出版された画文集『裾野』です。本書では、巻末に近い「故友を思ふ」の章に中村彝についての想い出が多く登場しています。彝のパトロンのひとりであった今村繁三が、大正初期に開催した「牛鍋会」で曾宮と彝は初めて出会いますが、ここでは曾宮から見た彝の性格や精神生活の推移・変化について、それらエピソードとともに触れられています。のちに、彝自身が自分の性格について鼻っぱしが強く傲慢だったと周囲の友人へ述懐していますが、結核の病状が進むにつれて性格が少しずつ穏やかになり、謙虚な姿勢が増していったことが、もっとも身近にいた友人のひとりである曾宮の証言によって語られていきます。
 本書は、東京国立近代美術館のライブラリーにも収蔵されてはおらず、自治体の図書館などにも所蔵されているケースは稀です。大きな図書館では、国立国会図書館に2冊、東京都立中央図書館に1冊が収蔵されています。なお、古書店では流通しているのを見かけますが、他の曾宮一念の著作に比べて数が少ないものか、多くは残っていないようです。

写真は、曾宮一念『裾野』(四季書房)の表紙と下落合のアトリエ前に立つ曾宮一念。


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曾宮一念『榛の畦みち・海辺の熔岩』(講談社/1995年) [中村彝を知るための45冊]

榛の畦みち・海辺の熔岩.jpg

 本書は、曾宮一念が1955年(昭和30)に出版したエッセイ集『榛(はん)の畦みち』(四季社)と、1958年(昭和33)に出版した同集『海辺の熔岩』(創文社)とを合体し、講談社が1995年(平成7)に講談社文庫へ収めた作品です。同書では、「中村彝回想」と題する項目(「海辺の熔岩」内)で、さまざまなエピソードが語られているばかりでなく、彝が『海辺の村(白壁の家)』を制作した房総・布良(めら)の描画ポイントを8mmカメラ片手に訪れたり、同じく房総で制作していた青木繁の表現と彝の仕事を対比させて美術論を試みたりと、彝に関する情報が盛りだくさんな内容となっています。描かれた中村彝の様子は、日々もっとも身近に接し、彝自身も気を許して何でも打ち明けていたらしい曾宮一念でしか証言しえないものも含まれており、たいへん貴重な記録となっています。なお、『榛の畦みち』(四季社/1955年)と『海辺の熔岩』(創文社/1958年)の原本では、エッセイの合い間に曾宮一念の挿画がほどこされていますが、講談社の文庫本版ではそのすべてが省かれており見ることができません。
 現在、講談社文庫の同書はすでに絶版となっているようですが、古書店ではかなり数多く流通していて入手も容易なようです。また、図書館などでも収蔵しているところが多そうです。1950年代に出版された原本の2冊は、古書店でも流通していますが比較的高価です。大きめな図書館や美術館のライブラリーなどにも収蔵されていますが、館外持ち出し禁止の館内閲覧のみに限られているところが大半です。


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小島善太郎『若き日の自画像』(雪華社/1968年) [中村彝を知るための45冊]

若き日の自画像1968.jpg

 1968年(昭和43)に雪華社から出版された、小島善太郎の自叙伝『若き日の自画像』です。画家への道を歩みながら、他の画家たちには見られない過酷な経験をしてきた小島善太郎ですが、本書は淀橋に生まれ育ってから、醤油屋への丁稚奉公時代、両親と妹を相次いで亡くした下落合時代を経て、大久保の中村覚陸軍大将邸へ書生に入るまでの、波乱に満ちた青春時代が描かれています。本書では、通っていた太平洋画会研究所で中村彝を見かけ、彝が研究所でデッサンをする様子を詳細に書きとめています。また、小島は新宿駅東口にあった新宿中村屋の「碌山館」を頻繁に訪ねており、当時は柳敬助が住んでいた店舗裏のアトリエも訪問しています。相馬夫妻と懇意になったのをはじめ、そこでも小島は高村光太郎らとともに、中村彝に出会っています。彝に関する記述はほんの一部にすぎませんが、のちに里見勝蔵や前田寛治、佐伯祐三らとともに1930年協会で活躍する小島の目から見た彝の様子が新鮮です。
 古書店ではよく流通しているのを見かけますので、本書の入手は比較的容易です。図書館や美術館のライブラリーでも、収蔵しているところが多いようですが、雪華社の普及版ではなく豪華版の場合は、館外への持ち出しが禁止されているところもあるようです。

写真は、小島善太郎『若き日の自画像』(豪華版)の表紙


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曾宮一念『夕ばえ』(求龍堂/1943年) [中村彝を知るための45冊]

夕ばえ1943.jpg 海辺の村(白壁の家)1910.jpg

 1943年(昭和18)の太平洋戦争中に求龍堂から出版された、曾宮一念のエッセイ集『夕ばえ』です。本書は、処女随筆集『いはの群』(座右寶刊行会/1938年)が出版されてからのち、曾宮が新聞・雑誌へ発表したり、手元に書き溜めておいたエッセイをまとめたものです。『いはの群れ』に比べ、中村彝に関する記述は少なくなっていますが、やはりところどころに想い出が登場しています。曾宮が在学当時の東京美術学校では、油彩画を描くのに「1号あたり1日の制作時間がめやすだ」というようなことが語られており、20号であれば20日間の制作リードタイムが必要とされていたようです。中村彝が1910年(明治43)に制作した、20号の初期作品『海辺の村(白壁の家)』は描くのに3ヶ月(90日)かかったという、曾宮が彝自身から得た証言を書きとめており、明治期の油彩画における制作速度は、曾宮が美術学校に在学していた大正前期よりもはるかに遅かったのではないかと、実例を出して分析しています。
 古書店ではよく流通しているのを見かけますので、本書の入手は比較的容易です。ただし、戦時中に出版されたせいで紙質が悪く、コンディションのよいものは少ないようです。大きめな図書館では収蔵しているところがみられますが、館内閲覧のみで館外貸し出しを禁止しているところが多いようです。美術館などのライブラリーにも収蔵されていますが、同様に資料室内での閲覧のみに限られているようです。

写真は本書の表紙と、1910年(明治43)に房総半島の布良(めら)で制作された中村彝『海辺の村(白壁の家)』。


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曾宮一念『いはの群』(座右宝刊行会/1938年) [中村彝を知るための45冊]

いはの群1938.jpg 曾宮一念「落合風景」1920.jpg

 1938年(昭和13)に座右宝刊行会から出版された、曾宮一念のエッセイ処女作『いはの群』です。本書は、中村彝が死去してから14年後に刊行されたものですが、当時も曾宮は下落合623番地(1938年当時は淀橋区下落合2丁目623番地)にアトリエをかまえていたことから、中村彝をめぐる想い出話がところどころに登場しています。また、同じ下落合の町内に住んでいた画家たちとのエピソードなども語られています。同書は、1938年(昭和13)に書き下ろされたものではなく、それまでに発表されていたエッセイをまとめた内容となっており、大正期から昭和初期にかけての下落合と、その周辺をめぐる画家たちの様子を知ることができる貴重な資料となっています。また、当時の曾宮一念の画論や、自身が下落合で主宰していた画塾「(第2次)どんたくの会」用に書かれたものか、西洋画入門のような稿も収録されており、帝展を中心に活躍した中村彝と二科をベースに活躍した曾宮一念との、絵画に対する視座の違いも興味深い内容となっています。
 古書店ではよく流通しているのを見かけますので、本書の入手は比較的容易ですが、限定800部の出版のせいかかなり高価となっています。曾宮一念の著作は、その多くが図書館や美術館の資料室でも閲覧することができますが、本書に限っては収蔵しているところが非常に少なく、国立東京近代美術館のライブラリーでも未収蔵となっています。

写真は本書の函表と、1920年(大正9)に曾宮一念が中村彝アトリエの北西に建つメーヤー館(目白福音教会宣教師館)を描いた『落合風景』。


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曾宮一念『画家は廃業-98翁生涯を語る-』(静岡新聞社/1992年) [中村彝を知るための45冊]

曾宮一念「画家は廃業」.jpg 庭先1920.jpg

 洋画家・曾宮一念は中村彝の近くに住み、しじゅう彝アトリエを訪問していました。したがって、生前の中村彝にもっとも親しく接している人物のひとりです。また、曾宮一念は文章を書くのが好きで、下落合時代のことをさまざまなエッセイに残しています。当サイトでも、以前に1967年(昭和42)出版の『東京回顧』Click!(創文社)をご紹介していました。『画家は廃業』は、晩年の98歳になった曾宮一念に静岡新聞社の出版局記者が取材し、その聞き書きをまとめた貴重な記録です。本書にも、あちこちに中村彝が登場してきますが、同じく下落合の近所に住んでいた彝の友人である鶴田吾郎や、曾宮アトリエを参考にアトリエの塗装を考えていた佐伯祐三に関する記録にも、たいへん興味深いものがあります。曾宮翁が99歳になったとき、新宿歴史博物館がやはり取材しており、その聞き書きは『新宿歴史博物館紀要・創刊号』(1992年)Click!の「曾宮一念氏インタビュー」としてまとめられています。
 本の入手は容易で、本屋さんからの注文でもネット書店でも、また古書店でも購入することができます。また、図書館や美術館の資料室でも収蔵しているケースが多いようです。

写真は本書のカバーと、1920年(大正9)に曾宮一念が中村彝アトリエを描いた『庭先』。


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柴野毅美『凝視と予感-美術批評への試行-』(玄文社/2009年) [中村彝を知るための45冊]

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 筆者の柴野毅美氏は、新潟県柏崎市で地域新聞『越後タイムス』Click!の編集発行人を長年つとめられている方です。中村彝に関する同紙に掲載された多彩な記事については、「越後タイムス資料」として保存会サイトでもたびたびご紹介してきました。柏崎市は、彝の親友でありパトロンのひとりだった洲崎義郎が暮らしていた町であり、彝が生前に唯一個展を開催することができた、ゆかりの深い土地でもあります。来年(2010年)で100周年を迎える、1911年(明治44)創刊の歴史ある新聞『越後タイムス』は、中村彝の生前からその画業について、繰り返し記事に取り上げてきています。本書は2003年(平成15)の秋、茨城県立近代美術館で開催された「中村彝の全貌」展Click!への批評を中心に、彝の作品群への独自なアプローチを試みています。また、中村彝のほか靉光や藤田嗣治、難波田史男など、多彩な画家や彫刻家などの作品批評も収録されています。
 今年の8月に出版されたばかりですので、同書は比較的容易に入手することができます。出版社の玄文社Click!は、新潟県柏崎市にある出版社ですので、同社へ直接注文するのが、もっとも確実でスムーズな入手方法です。また、発売から間もないので図書館や美術館などでは、いまだ未収蔵のところが多いかと思います。

写真は、『凝視と予感』の表紙(左)と目次の一部(右)。


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北原義雄・編『中村彝画集』(アトリエ社/1927年) [中村彝を知るための45冊]

中村彝画集1927函.jpg 中村彝画集1927表紙.jpg

 1927年(昭和2)にアトリエ社から出版された、北原義雄・編の『中村彝画集』です。前年の1926年(大正15)に出版された『芸術の無限感』Click!(岩波書店)とともに、伊藤隆三郎、堀進二、遠山五郎、渡辺光徳、鶴田吾郎、前田慶蔵、洲崎義郎の7人が集まって刊行した豪華な『中村彝作品集』(中村彝作品集刊行会)の普及版として企画されたものと思われます。カラーグラビア印刷が10作品、モノクロが16作品収録された、当時としては上質な印刷の画集です。序文を鶴田吾郎が担当し、奥付には「中村画室倶楽部」の版権印が押されています。この画集が貴重なのは、戦後に行方不明となってしまった作品、あるいは戦災で焼けてしまった作品の画像が収録されており、いまやかけがえのない資料となっています。特に、新宿中村屋のショーウィンドウに飾られていて、1945年(昭和20)5月25日の山手空襲で焼けてしまった『曇れる朝』(1909年)や、中村彝アトリエの一隅を写生した作品、いまでは見られないモデルのデッサン(『女の像』)など、この画集に残された貴重な画像です。
 現在でも、古書店では比較的入手が容易です。特に1927年(昭和2)版よりも、重版の1931年(昭和6)版のほうが廉価で手に入りやすくなっています。また、一般的な図書館に置かれているケースは皆無に近く、美術館系の資料室などには収蔵されている可能性があります。

写真は、1927年(昭和2)版の画集の函(左)と表紙(右)。


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梶山公平・編『芸術無限に生きて-鈴木良三遺稿集』(木耳社/1999年) [中村彝を知るための45冊]

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 中村彝に兄事していた洋画家・鈴木良三の遺稿を、中村彝会の故・梶山公平会長が編集して出版した書籍です。中村彝をはじめ、鈴木良三が「目白バルビゾン」と名づけた、大正期に下落合とその周辺に住んでいた芸術家たちをていねいに紹介しています。
 中でも、中村彝アトリエの外観や室内に関する細かな観察が記録されていて、当時のアトリエのカラーリングや屋内のレイアウトを知るには欠かせない1冊だと思います。また、筆者は洋画家・鈴木誠の死後に同アトリエを再訪しており、当初の彝アトリエの姿からどの部分を増改築したのかが、住民の方への取材を通じて明らかにされています。中村彝関連のエッセイのほか、周辺の画家たちとの交流や当時の下落合界隈の風景描写など、大正時代の彝アトリエとその周辺を知るには格好の資料となっています。
 現在でも、ネット書店や街の大型書店では入手可能ですが、小部数発行だと思いますので残部はそれほどないのではないかと想像します。収蔵されている図書館は、いまだそれほど多くはありません。東京でも置いている図書館は少なく、目立つところでは国会図書館と東京都中央図書館とがありました。ただし、美術館系の資料室などには、収蔵されている可能性が高いと思われます。

写真右は、遺稿の著者である1960年代ごろの鈴木良三。

 


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