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アトリエ保存の経緯 ブログトップ

保存活動の経緯。 [アトリエ保存の経緯]


 これまでの、中村彝アトリエの保存をめぐる経緯で判明している出来事は、以下の通りです。

●1970年代
 お住まいの方が、新宿区へ保存の意向を打診されるが、すぐ近くに区立の施設があるとの理由で拒否される。中村彝アトリエとまったく関連のない福祉施設を同列・同次元で扱う、新宿区の認識のしかたがまったく意味不明。担当者は、洋画家・中村彝の名前さえ知らなかった可能性がある。

                                             「下落合事情明細図」(1926年)
●1970~80年代
 再度、アトリエにお住まいの方より新宿区へ働きかける。あいにく同様の保存案件で、林芙美子の自宅(1941年・昭和16築)とバッティングしてしまう。当時、舞台で『放浪記』や『浮雲』などが評判になっており、文化財の保存予算はすべて林芙美子邸につかわれてしまい、中村彝アトリエはまたしても取り残されてしまう。
 また、1988年(昭和63)に建設された、茨城県立近代美術館の庭に再現された中村彝アトリエのレプリカに関連し、当初、洋画家・鈴木良三が中心となり茨城県へ移築の話が持ち上がるが、途中で立ち消えになっている。このとき、茨城県立近代美術館をはじめ茨城県側から保存に関するの打診があったようだが、お住まいの方は新宿に中村彝たちが集った新宿中村屋が残るのと同様に、下落合の地で保存してこそ中村彝アトリエの意味があるとの想いからか、最終的には移築を中止している。

●1980~90年代
 新宿中央図書館(新宿区教育委員会/文化財郷土資料担当)にお勤めだった女性職員2名が、中村彝アトリエの貴重性に気づき、お住まいの方へアプローチをしてくる。そして、この職員たちとともに保存のための活動を始める。このとき、教育委員会を通じてお住まいの方から三たび、新宿区へ保存の働きかけも行われたと思われるが、2女性が退職あるいは異動するとともに、保存への動きも立ち消えになってしまう。
建築当初のアトリエ(1916年)
●2007年3月
 「中村彝アトリエ保存会」の設立とともに、地元住民をはじめ美術界や建築界など、幅広い分野の方々が結集して、四度目の保存活動が開始される。

●参考ページ
「テーマは80年間変わっていない。」


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